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《対談・後編》山口 周氏 × 石原 紳伍

山口周(独立研究者、著作者)

1970年東京生まれ。電通、ボストン・コンサルティング・グループ、コーン・フェリー等で企業戦略策定、文化政策立案、組織開発等に従事した後に独立。現在は「人文科学と経営科学の交差点で知的成果を生み出す」をテーマに独立研究者、著作家、パブリックスピーカーとして活動。現在、株式会社ライプニッツ代表、一橋大学大学院経営管理研究科非常勤講師、世界経済フォーラムGlobal Future Councilメンバーなどの他、複数企業の社外取締役、戦略・組織アドバイザーを務める。著書に『ニュータイプの時代』『世界のエリートはなぜ「美意識」を鍛えるのか?』『武器になる哲学』など。慶應義塾大学文学部哲学科美学美術史学専攻、同大学院文学研究科美学美術史学修士課程修了。神奈川県葉山町に在住。

高原に着いた僕たちに、これから必要になるもの

「コペルニクス的転回」という言葉がある。
それまでの常識だったことを疑い、別の視点で物事を見直す比喩である。
コペルニクスは当時の定説「天動説」に意を唱え、地球が太陽の周りを回っている=地動説を本にまとめ、出版した。
しかし、彼は本の発売直前に亡くなっていて、彼の理論が認められたのも死後100年以上後だった。逆に言えば、コペルニクスの死後、彼を指示する科学者たちが100年以上かけて研究を紡ぎ、ニュートンの研究によって「地動説」は決定的になった。
 
いま私たちは出口の見えないトンネルにいるような、不透明で不明瞭な視界のなかで暮らしている。そんな時代にあって、かつての概念や価値観を崩して世界を見てみることは、とても重要なのかもしれない。
そして熱量のあるアクションなら、きっと次世代がバトンをリレーしていく。

当たり前を疑ってみる

石原:周さんは書籍の中で「いかに課題設定が正しくできるか」と書かれていますよね。選球眼を鍛えるのは教養だと。その本を読んでの自分の理解と、「自分の経験値はそういうことなんだな」という答え合わせになった部分もあるんですが、それをどういうふうに伝えたらいいのかな、と。その選球眼を鍛えるにはどうしたらいいでしょうか?
 
山口:マズローの欲求5段階説がありますよね。最初に「安全の欲求」=安全に過ごしたい、次は「生理的欲求」=お腹が空いたとか、眠いとか。その次に所属したい(=「所属と愛の欲求」)、次が人に認めてもらいたい(=「承認(尊重)の欲求」)、最後は自己実現したい(=「自己実現の欲求」)っていうものです。

それでよくマーケティング理論などは整理されています。でも、これもおかしいと思うんです。たとえば「一番人生で喜びを感じる瞬間は何ですか」と訊かれたとして考えて頂きたいのですが、たとえば10年前の僕でしたら明らかに「(自分の)子どもを抱きしめる」のが一番嬉しい瞬間でした。それはもう衝動なんです。でもそれはマズローの欲求五段階説のどれにも入らない。どれにも入らないのに、それが一番「いま生きてる」と実感する瞬間の欲求なんですね。
それはたぶんチョコレートもそうなんです。

チョコレートを食べて「美味しい」って思う瞬間って、コンサマトリー(自己充足的)と言って、「目的も何にもなくただ、この瞬間生きていてよかったと思う時間」なんですけど、それはマーケティングの枠組みでは整理できていないのです。つまり「高原」のマーケティングを考えるのにマズローの欲求五段階説は役に立たない。だから世の中で「これが一般的に使われています」とか「これがフーレムです」とか、経済学ではこういうふうに整理しますと言われていることを、一回「皮膚感覚」に照らしてみることが大事なんです。

自分の感覚的にしっくりくるか、欲求はこの5種類しかありません、と言われて自分が思うこととズレていたら、一回それを崩してみて、じゃあどういう枠組みなんだろうと考えると、それはもう競合が持っていない自分たちだけの「新しいフレーム」になるので、競争上すごく有利になるんです。

官能をデリバリーする

今回の山口さんの話を受けて、あらためて石原さんが今後メゾンカカオとして目指す方向などがあれば教えてください。

 
石原:「自分が生まれ育った場所にはこういうチョコレート屋さんがあって、そこのチョコレート屋さんは年に何回かイベントをやっていて、そこでもらったお菓子を誕生日とか、何かの時に食べるのが幸せだった」とか、それを誰かに渡した時に、「その人がこういうことを言っててね」っていうふうに、チョコレートを通じて色んな物語が作られていくってことが、結果的としてその街のローカライズされた文化になっていたりすると僕は思っています。バレンタインの時期に自分が売り場に立っている時にとてもそれを感じます。「将来このチョコレート屋で働きたい」と4、5年間も通ってくれる小学生の子がいたりとか……。
 
山口:そうなんだ、いい話ですねぇ(笑)
 
石原:「自分のおばあちゃんは硬いものは食べられないけれど、ここのチョコレートは口で溶けるから食べられるので、病院にこれを持っていくといつも喜ばれるんだ」なんて話を聞くと泣けてくるんです。それを僕たちは仕事に出来ていることが幸せだなと思っていて。生産者の気持ちから、作る人から、販売のプレゼンターが最後に届けにいくという、この活動を通じて文化を育んでいけたらいいなと思っています。
 

周さんから見た、メゾンカカオの面白さや魅力がもしあれば教えてください。
 
山口:先ほども言いましたが、世の中は「高原」経済になっています。経済が谷底とか停滞とか言う人もいますが、逆だと思っています。高原に着いたから高度が上がらないわけです。そうなると、高原の経済ですごく大事なのは、ちょっと生々しいことを言うと、「官能」だと思います。

人間が人間らしく生きる「生の充実」を感じるというのは、芸術とか文化とか自然とか素晴らしいものに触れた時だと思うんです。料理も芸術に含めていいと思います。あとは異性や家族、動物などとの交歓ですかね。それってマズローの欲求五段階説のどれにも入らない。欲求五段階説の最大の問題は全部「功利的」なんです。英語ではインストゥルメンタル(道具的)と言って、何かのために手段と目的が分かれている。何か目的があって、そのために辛いんだけど何かをやる、っていうのが今までの経済活動です。

反対に、タルコット・パーソンズという社会学者が言った言葉=コンサマトリー(自己充足的)というのは、歌い踊るとか、子どもを抱きしめるとか、懐かしい友だちとお酒を飲んでバカ話をするとか、チョコレートを食べて感動するとか、もう手段とリターンが一致しているんですね。
今の石原さんの話は「チョコレートを作ってデリバリーする、そうするとおばあちゃんが喜んでくれる」というプロセスそのものに喜びがあって、回収されているわけですよ。もちろん経済的な利得というのもあると思いますが。僕はコンサマトリー経済の特徴は、何かをデリバリーする側も、デリバリーそのものがリターンなんです。受け取る側も、受け取って消費すること自体がリターン。だからもうどっちがお客さんか分からないみたいな(笑)感じになっていくんだと思うのです。

話を元に戻すと、「官能」をちゃんとデリバリーして、高原に住んでいる人たちの人生をより豊かにしていくためにはどんなものが必要なのかと言ったら、色んな係が世界にいるけれども「チョコレートは僕たちに任せておいて」っていうことでいいんじゃないですかね。だから僕は今日の話を伺ってとても嬉しくなりましたね。

5月末にオープンしたカカオハナレにて


「死ぬ間際になって私たちが後悔すること
それは自分がしたことではなく、やらなかったことだ」
――ランディ・パウシュ教授(「最後の授業」著者)

山口さんの言う「高原の時代」は、まだ手付かずの状態に近い。
ならば、西部開拓時代のアメリカのように、自らが本当に暮らしたいと思える世界を作ればいい。
肝心なのはそう信じてやれるかどうかだ。
 
メゾンカカオにはそうした意識を持つ人が多い。
「いい会社に入りたい」という人じゃなく
「いい会社を作りたい」という人たちが集まる会社が
きっと世の中を変えていくのだ。
 

 


Written by
大森 春樹(HARUKI OMORI)

編集者。大学卒業後、最初に入社した出版社で営業部、広報・宣伝部を経て書籍の編集業務に携わる。以降、サッカーを中心にスポーツノンフィクションの書籍やムック、海外翻訳の図鑑シリーズ、映画やテレビ番組などの公式ブックなどを多数担当する。また、パリで1995年から行われ、日本では三越伊勢丹グループが開催している「サロン・デュ・ショコラ」のオフィシャルムックの刊行を2009年より始める。日本だけでなく、フランス、ベルギー、スイス、イタリア、スペイン、デンマーク、ノルウェーなどに渡り、延べ400件近い取材を行う。現在はこれら以外に人気YouTuberの企画や、ビジネス書などを積極的に編集中。

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