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すべてはコロンビアの未来のためメゾンカカオ財団に込める想い

コカ栽培が悪化させる街の治安
メゾンカカオとコロンビアの結びつきは深い。コロンビアはブランド創業のきっかけとなる場所であり、「メゾン」という名前が生まれた場所でもある。そして何よりチョコレートの原料であるカカオ生産の拠点である。そんな密接な関係にあるコロンビアだが、創業者石原紳伍には当初からある懸念があった。それが、コロンビアの麻薬大国としての一面だ。「麻薬の原料となるコカが栽培される土地はカカオ栽培にも適しているのですが、多くの農家がコカ栽培を選びます。その理由は収穫まで4年から6年かかるカカオよりもコカの栽培は遥かに簡単で高収入が得られるから。危険を承知で多くの農家がコカ栽培に手を出しているんです」。それはまた別の弊害も生んでいた。「コカの密売人が街に頻繁に出入りし、治安が悪化していました。当然それは子どもたちにも悪影響を及ぼします」。

自社管理農園に着手
その状況を放置していれば、農家が安心して農業に従事できないばかりか、子どもたちの安全や将来も危ぶまれる。メゾンカカオにとっても、100年続くブランドという志を実現するためには、カカオ生産者の永続的な豊かさは不可欠である。そこで石原はカカオの管理農園の整備に取り組み始める。現地の人たちと協力し、農村部に水路を開拓することから農園をつくり上げていく。カカオの木が増えることは、コカの木が減ることにつながり、それは安心して農業に従事できる農家が増えることを意味する。地道な取り組みは着実に実を結び、現在はふたつの自社管理農園を有し、二千に近いカカオ農家とパートナーシップを結ぶ。

トタン屋根だけの学校
農園の開拓の次に石原が取り組んだのが教育だ。管理農園の近くには家庭の事情や経済的な理由で、学校に通えない子どもたちが数多くいた。その子どもたちのために学校を開設するべく石原は奔走する。「2016年にネコクリに学校を開きました。とはいえ、最初はトタン屋根だけの空間に、市内から先生を招くので精一杯。生徒も30人ほどの小さな学校でした」。2年後の2018年にようやく建物が完成すると、生徒数も一気に増加する。その頃、現地での活動がコロンビア政府に評価され、外国企業としては初となる政府公認の認定マークを得たことで、地域との結びつきはさらに深まる。放課後はカカオ栽培の勉強会のため、親世代にも開放されるようになった。

地域初のスポーツフィールド
ふたつ目の学校が開校したのは2022年。教育内容も拡充させ、子どもたちの個性や感受性を伸ばすことを目的に、授業に音楽やアートも取り入れた。そして、石原が今後力を入れていきたいのがスポーツだ。新しい学校には地域で初となるスポーツフィールドも完備した。「諦めずに努力をし続けること、自分の決めたことをやり抜くこと、チームで共に戦うことを子どもたちに学んでほしいと思っています。今はサッカーやバスケットボールを楽しんでいますが、ゆくゆくはラグビーや柔道も教えていけたらと思っています」。

小さな積み重ねが未来を変える
2022年、メゾンカカオはコロンビアへの支援をいっそう確固たるものにするために、そして、コロンビアと日本の絆をいっそう強固なものにするために「メゾンカカオ財団」を創設する。石原は今、財団の未来にふたつの可能性を見ている。ひとつは環境保全。コロンビアはアンデス山脈が南北にまたがり、生物多様性のパラダイスとも称される。バナナなど他の植物との共作が可能なカカオの木が増えることはコロンビアの生態系の保護につながる。メゾンカカオでは管理農園や専用農園を増やしながら、自然環境の保全に取り組んでいく。そして、ふたつ目が人材育成だ。将来の社会での活躍を目指し、地域の人やパートナーの農家と共に人材の育成に努める。自分の人生を切り拓く意志と選択肢を子どもたちに持ってもらうことが石原の願いだが、その成果は徐々にあらわれているという。「先日農園を訪れた際に、地域一帯の治安が改善され、ゲリラ兵になって稼ぐ道しか残されていなかった子どもたちが、農学者を夢見ていると聞きました。思わず泣きそうになりましたね」。どんなに小さな取り組みであっても、積み重ねていくことで未来は必ず変えられる。メゾンカカオはそう信じて、コロンビアでの財団の活動を続けている。

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