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《対談》梶谷 譲 氏 × 石原 紳伍

梶谷 譲(梶谷農園オーナー)

1979年広島県三原市生まれ。ハーブ農園を経営していた両親の影響で中学2年生からカナダに留学。大学はトロント郊外の農業系大学へ進学。その後、北米トップクラスの園芸学校「ナイアガラ・ボタニカル・ガーデン」で学び、2007年に帰国。父の跡を継ぎ、梶谷農園のオーナーとなる。「星付きレストラン専用のハーブ栽培」を経営方針とし、シェフの細やかなニーズに応えている。趣味は「食べること」と「旅すること」。

旅先での原風景が生み出したもの

MAISON CACAOの2020年のバレンタインコレクション「GARDEN」。

7つあるフレーバーの内、「SWEET DREAMS(アップルミント)」、「QUEEN(ベルベンヌ)」、「FIG(イチジク)」に梶谷農園のハーブを使っている。

石原はカカオ、梶谷はハーブ。植物を扱う以外にも共通点の多い二人だった。

「三つ星レストランに卸す農家になるって決めたんだ」

そう話すのは、広島県三原市にある梶谷農園オーナーの梶谷譲氏。

その言葉通り、日本中の星付きレストランで、梶谷農園のハーブが使われている。彼のハーブは、苦い。酸っぱい。辛い。個性的でいて、分かりやすい。彼自身を形容するならば、同じ言葉になるのかもしれない。

農家を目指すきっかけは、父との美食旅

梶谷の両親は広島で農園を営み、ハーブを栽培していた。梶谷が高校生の頃、父親が交通事故で片足を失った。医師から告げられた余命は8年。「何かしたいことはあるか?」父親から帰ってきた言葉は、「世界中の美味しいものを食べて死にたい。」これが後に梶谷がハーブ農家を目指すきっかけとなった。

大学に入ると、「ミシュランガイド」を片手に、父親と二人でフランスを訪れた。パリにある三つ星店は12店。1週間で全て回った。バターやクリームたっぷりのコース料理を昼、晩と毎日食べるのは、思いの外大変だった。さらに、父親は糖尿病で半分の量しか食べられない。残りは全て梶谷の前にやってきた。

「チーズやデザートのワゴンが回ってくのが、恐怖でしたよ。『一通り味見したい』と、父親は言うんですが、食べるのは一口だけ。あとは私が食べるんです。」

レストランで食事をしたあとは、必ず、契約している農家を紹介してもらった。

「どの農園も共通しているのは、働いている人がみんなが楽しそう。裸の人もいれば、踊っている人も、土を食べている人もいましたね。野菜というより、そういう人たちに刺激を受けました。」

父と子2人での美食旅。パリの次に向かったのは、NY、そしてスペインへ。レストランや農家を回り、様々な人、食材、風景に出会い、梶谷は「自分もあんな人たちのようになりたい。」と考えるようになった。

目指すのは、「三つ星のレストランに卸す農家」

梶谷が父親に農業をやりたいと話すと、「お前には無理だ。」と一蹴された。本当にやりたいなら、と梶谷の学び舎となったのは、北米トップクラスの園芸学校「ナイアガラ・ボタニカル・ガーデン」だ。1学年は10名。数少ない入学枠を求め、世界中から志願者が集まる。

「同級生は、みんな植物オタクですよ。普通、道案内するときは『あの信号を右に〜』って説明するでしょう。それを、『あの赤松を右に〜』ですから。全部が植物中心で動いているんです。」

そう笑う梶谷も、例外ではないだろう。卒業後は、広島に戻り、実家の農園を継いだ。パリやNYで見た風景が、今でも脳裏に焼き付いている。梶谷が目指すのは、「三つ星レストランに卸す農家」だ。

ハーブを収穫すると、市場に売りに行った。「僕のハーブに何を求めてる?」と尋ねると、返ってきたのは、「価格が安い」「見た目が綺麗」「供給の安定」。梶谷が見てきた三つ星の契約農家では考えられない。

「このままでは、値段を叩かれて奴隷になってしまうと思いました。当時、農家はみんな市場に卸していたので、市場の人は偉い立場で農家はペコペコする。僕はそんなことしたくなかった。『ここには売らないよ!』と啖呵を切って市場を出ました。」

唯一の売り先を失った梶谷が向かったのは、父と昔訪れたパリの三つ星レストラン「アストランス」だった。梶谷が育てたハーブをスーツケースいっぱいに詰めて、オーナーシェフのパスカルに言った。「自分の方向性がまちがってないか、味を見て欲しい」日本にはハーブ農家はいない。知り合いもいない。梶谷は自分が正しいのか、わからなくなっていた。夜、再び店を訪れた梶谷にパスカルは言った。「方向性間違っていないよ。君のハーブは最高だよ!」パスカルは梶谷をキッチンに連れて行くと、日本人シェフたちに、日本で店を開く際には梶谷のハーブを使うように、と伝え、既に日本で店をやっているシェフを紹介してくれた。

「12店ある三つ星レストランのほとんどが、他の街や国に支店があった。偶然にも、支店がなく、シェフがいつも店にいるアストランスを選んだのはラッキーでした。」

パスカルが紹介してくれたシェフにハーブのサンプルと手紙を送ると、すぐに「お前みたいな農家を探してたんだ!」と、連絡が来た。「このハーブを作って」「新芽だけ欲しい」シェフの細かいリクエストに答え、少しづつ取引先が増えていった。

人が辞める度に、失恋したような悲しい気持ちになった

ハーブ栽培を始めて2年目。「ミシュランガイド東京」が発行された。三つ星を取ったレストランのほとんど既に取引のあるところだった。メディアで、「ミシュラン三つ星シェフの共通点はハーブ農園」と特集が組まれると、梶谷農園に問い合わせが殺到した。

家族と地域の人で栽培していたが、取引できるのは100件が限界。農業に応募してくる人は精神を病んだ人ばかりで、厳しく指導すると、みんなすぐに辞めていった。土地はある、客はもっと欲しいという。しかし、働き手が足りない。そんな状況が10年続いた。

「常に人手不足に悩んでいました、従業員が辞める夢を見たり。人が辞める度に、失恋したような悲しい気持ちになりました。10年間、楽しくやって来たし、農業をやめようかと思うこともありました。」

そんな時、転機が訪れた。様々な分野の食のプロフェッショナルを紹介する本で、梶谷が紹介されたのだ。それをきっかけに、応募が増え、ようやく能力のある人を選べるようになった。また、フィリピン人の採用も始めた。

「彼らの目的はシンプルに、お金と技術だけ。3年契約で、絶対に辞めません。」

初めて3年先が見えるようになった。農業を始め13年目。梶谷のさらなる快進撃が始まる。

価値観が行き来することで良いものが生まれる

二人が出会うきっかけは、フードキュレーターの大橋直誉氏だ。

石原:マインドフルネスには、チョコレートとハーブが相性が良さそうだと考え、大橋さんに相談したら、『取引してくれるかわからないけど。』と、紹介してくれたのが梶谷さんでした。

梶谷は、コロンビアでカカオ農園を持っている石原に興味があったという。二人を畑や山へ連れて行き、そこで見る風景や植物の話をした。

梶谷:畑だけでなく、山すべて食材。今でも山の中に探しに行きますよ。野生の花山椒を自分たちで摘んで売ると100グラム8000円になる。季節によっても違うし、毎日新しい発見がある。自然界は本当にすごい。

 この時の風景は、石原にとって、商品開発の上で極めて重要なインスピレーションにもなったという。石原は梶谷で出会ってから、道に生える草に目がいくようになった。道端の雑草を摘んでは、「これ食べられるよ。」と社員に渡す。

梶谷:雑草の価値は、東京に行くと変わるんです。田舎の人にとっては雑草でも、東京の人には喜んでもらえる。田舎の人は都会に行かないし、都会の人は田舎に行かないから、価値が生まれない。

旅が好きな石原と梶谷は日本全国のみならず、世界中を訪れる。様々な場所を知り、人に出会い、多くを経験をしているからこそモノの価値がわかる。そして価値観が行き来できるのだろう。

すぐやるか、永遠にやらないかのどちらかしかない
ハーブとチョコレート。一見、味のイメージがつきにくいが、その分口に含んだ時の驚きは大きい。

「GARDEN」の中でも、特に人気だったのがイチジクの葉を使っている「FIG」だ。石原と社員が農園を訪れ、香りの強い葉のみを選定した。みずみずしく芳醇な味と香りは、まるでもぎたてのイチジクを食べているようだ。実ではなく、葉を使う。ルールやスタンダードを作らない石原ならではの発想だ。

梶谷:僕のこだわりは、甘い、柔らかい、など、みんなが好きな路線にはいかず、苦い、すっぱい、辛いなど、個性を活かすようにしています。

だからこそ、梶谷のハーブは他の食材と合わせても脇役にならない。

梶谷:石原さんは、すぐに商品を開発してくれたんですよね。すぐに行動にうつせる、スピード感がすごい。すぐやるか、永遠にやらないかのどちらかしかない。

農園で見た活き活きとしたハーブ、木の香り、土の感触。全身で感じたそれらが、石原を興奮させた。形にしたくてたまらなかったのだ。

石原:鎌倉に帰る日の朝、梶谷さんに、畑で好きなものを持って帰っていいと言われて。畑で、前の日に聞いた説明のメモを見ながらいろんなハーブを摘みました。チョコレートとハーブを合わせてみると、梶谷さんと一緒に畑で摘んだ風景が浮かんできて、商品化の着地まで早かったです。難しさはあまりなくて、むしろもっとやりたいことが出てきました。

鎌倉に帰るとすぐにショコラティエを集め、もっとハーブを活かせる方法はないのか、話し合いを重ねた。石原は商品ができると、すぐに梶谷に送った。
 
梶谷:チョコレートのなめらかさ、口どけに驚いて、そこからハーブの香りが出てきて感動しました。従業員たちも、自分の育てた商品が形になって盛り上がっていました。

石原:いつも、「本当にこれでいいのか?」と、半分ぐらい自分のことを疑ってるんです。だけど、梶谷さんの話を聞いて、間違っていないと思えました。こういう想いでやっていると梶谷さんのように素敵な人に出会えて、一緒に物づくりができる未来があるんだなと。

背中を押してくれるのは、いつでも人の言葉だ。石原はコロンビアで、梶谷はフランスで、そこで見た原風景がインスピレーションとなり、ひいては天命であり信念となった。旅すること、出会うこと、生み出すことが好きな二人。
これからどんな化学変化を起こすのか。

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