Journal

《対談》前田 哲郎 氏× 石原 紳伍

前田 哲郎(料理人)
1984年生まれ、石川県金沢市出身。高校卒業後、エアロビのインストラクター等を経て、食器屋であった父が営むおばんざい屋を手伝う。その後、山小屋での仕事や農業を経験。2010年、スペイン在住の日本人料理人との出会いをきっかけにバスク地方の一つ星レストラン「アラメダ」で働くため渡西。2011年、客として訪れた薪焼きの名店「アサドール・エチェバリ」の料理に衝撃を受けて修業を直談判。現在はスーシェフとしてメニューを開発し、焼き場も任されている。シェフの右腕として働くなかで、2019年に「アサドール・エチェバリ」は“世界のベストレストラン50”にて3位にランクイン。近年は「tetxubarri(テチュバリ)」という店名で個人の活動も行い、ポップアップレストランを開いたり、バスクの自宅に客を招いている。

バスクと鎌倉を舞台に、ふたりが食を通して伝えたいこと

料理人の前田哲郎さんと「MAISON CACAO」代表の石原紳伍さんは、ともに1984年生まれの同じ歳であり、仕事で刺激しあう同士。ジャンルは違えどそれぞれ“食”で勝負するふたりは、どんなビジョンをもって成長しようとしているのか。オンラインでざっくばらんに、ふたりの縁や共感しあう考え方を聞いた。

ある風景を再現するために生まれた仕事


ブランドサイトにも書かれているように、「MAISON CACAO」は石原紳伍さんのコロンビアへの旅から生まれたブランドだ。さらに具体的にいうと、ある風景からすべてが始まった。

「朝起きると街中がチョコレートの香りに包まれていました。そこで見たのは、カカオ豆を積んで行き来するトラクターや、カカオを栽培する生産者たち、道端で楽しそうにチョコレートドリンクを飲む人たち。すべてが交わっているチョコレートのある日常がすごくステキで衝撃を受けたんです。日本にもこういう文化があったら、どれだけ生活が豊かになるだろうと」

自分が感銘を受けた風景が伝わるような商品を作りたいと、石原さんはコロンビアと日本を繋ぐチョコレート屋さんを作った。匂いや風景から仕事のあり方を見出した話を聞いた時、前に料理人の前田哲郎さんも似たような話をしていたと思い出した。前田さんはスペイン・バスク地方「アサドール・エチェバリ」でスーシェフを務める料理界で注目の人だ。

前田さんは活躍できるまで、もがく日々が長かった。試行錯誤を繰り返し、料理の答えを探す毎日。そんななか、シェフのビクトルを理解しようとバスクの山奥に立つ山小屋に引っ越し、昔ながらのバスク人の生活を送ることで転機が訪れる。ある日、ビクトルにこう言った日から霧が晴れたような気持ちになったと話していた。

「僕が汗をかきながら(バスクの)山を登った時に感じたあの幸せを、うちのお客さんが、テーブルでグラスを片手に、エレガントに、同じ山を眺めながら、同じように感じてもらえたら、そんなにステキなことはないだろうな。山に登ってやっと分かったんだけれど、そういうこと?」

前田さんと石原さんで置かれる環境は違うが、通ずる感性はあるだろう。コロンビアとスペインでの彼らの体験はすべての人に具体的に話されるわけではない。でも、だからこそ媒介となるものを作ろうとしている。

ヴィクトル・アルギンソニス氏と前田氏

パリ、鎌倉、バスクの旅で深まった縁


ふたりが初めて会ったのは2018年の12月、場所はパリの中華料理屋だった。
それも不思議な巡り合わせ。寝坊して一時帰国の飛行機に乗り遅れた前田さんはパリで時間をつぶすこととなり、現地の友人に呼ばれて行った食事の席にいたのが石原さんだった。

石原:初めて会った時、てっちゃんが「チョコレートが苦手」という話をして、「一緒だ、僕も最初はそうだったんだよ」といった話をしたんだよね。それでうちのチョコレートを食べてもらって、鎌倉に来てもらったり、僕がスペインに行ったり。最近はInstagramのライブで飲んだりもしています。

前田:そう、もともとはチョコレートが好きじゃなかった。でも、パリのあと鎌倉に行って「ROBB」でチョコレートを使った料理を食べて、ああ、こういう可能性があるんだなと楽しみ方が分かってきた。カカオの香りや、発酵食との共通点、コーヒーとの共通点とか面白い。あと、いまカカオバターは俺にとってすごく魅力的な食材。油脂であり植物性でもあり、名前の通りバター的な要素もあって、それこそビーガン料理にも活用できる。発酵の旨味は西洋の料理では少ないから、例えばバスク料理にああいう複雑さを合わせるのもありだと思う。こないだはチョコレートで乳化させたハヤシライスを作ったばっかり。

石原:僕もいまは大好きなカレーみたいに、チョコレートは何に応用しても美味しい。コロンビアだと人それぞれにチョコレートが必要なシチュエーションやスタイルがあって、ぜひ現地で見て欲しいな。

前田:中南米料理のチョコの使い方はすごいよね。コロンビアも行きたいし、鎌倉もまた行きたい。

石原:コロンビア行こうよ! 鎌倉は2回きてくれたね。

前田:鎌倉は行ってみたかったの。もちろん紳伍ちゃんに会いたいのもあったけど、俺、鉄道が好きであの2階建ての横須賀線に乗りたかった(笑)。去年の冬はバスクの家でも会ったね。

その家とは、周囲360度を山に囲まれた道の終わりに立つ山小屋で、住所はない。そこでいま前田さんは、奥さんのナオミさんと雑種犬のラブ、茶トラ猫のおちび、にわとり4羽、山羊2頭と暮らしている。

石原:バスクでは刺激をたくさん受けました。エチェバリでの刺激も多かったけど、僕は山奥にあるてっちゃんの家に泊まって、朝と夜にごはんを作ってもらったのがすごく印象に残っています。まだ朝早いうちに生まれたばかりの卵を子供たちが懐中電灯をつけて取りに行って、それをキッチンで卵焼きにしてもらったんです。

前田:卵はね、冷蔵庫に入れない方が実は美味しい。

石原:素材を美味しく食べるということや、自然のなかで暮らす醍醐味と魅力を感じられて、コロンビアでカカオ農園に行った時の風景に通ずるものがありました。そのなかに身を置きながら想像して料理に向き合っているのがとてもステキだった。夜になるとチョリソーを薪で焼いてくれて、それをあてにお酒を飲んだのも楽しかったな。

ちなみにそのチョリソーとは、元は2019年の春まで前田家で飼育されていた豚で、近所の農家からのいただきもの。「アサドール・エチェバリ」の野菜クズを食べて育ち、しめられ、人に栄養を与える肉へと姿を変えた。

前田:僕らのあまったものを全部あげて、それが肉になって帰ってくる。羊とかも似ている。羊は植物性のものを食べて、人間に与えてくれるものはミルクなど動物性のもの。僕らが必要としている栄養源との間に動物がいて、交換器のような存在だなと思う。

バスクの家とエチェバリでは、卵も肉も植物も、人間が彼らのペースに合わせ、最良の時に食材となっていた。植物や生物の生命力をダイレクトに感じられる山での暮らしが、石原さんにはとても美しいことに見えた。そして、ただの田舎暮らしではなく、いまの時代にむけてアウトプットしようとする料理人としての前田さんに興味をもった。

仕事の理想は“人生のお裾分け”


前田さんは26歳まで料理の修業経験がなく、いきなりスペインへ渡った。

前田:まさかこんなに料理の道に進むと思わなかった。料理の道を目指してなかったから。
 
石原:きっかけは?
 
前田:金沢に帰省してスペイン料理屋で飲んでいる時に、同じカウンターにいた人がバスク地方の「アラメダ」という店で働いていた人で、「研修で来てみる?」と誘われて100%ノリで行ったね。海外に行ったことがなくて、まずパスポートを取るところから始めないといけなかった。でもパスポートをとるお金がなくて、治験バイトで急遽お金を作って、パスポートと航空券をとった。
 
石原:まさか、それから10年でスーシェフ業界のトップになるとは。
 
前田:ダサいやろ! 2番のトップって。海外だから帰るに帰れなくて、一生懸命やるしかなかった。稼ぐまで帰る航空券も買えないし。
 
石原:エチェバリでは最初は何をやらしてもらってたの?
 
前田:最初の仕事はレタス掃除。シェフの畑で作っているレタスが肉のつけ合わせのサラダになるんやけど、そのレタスを洗う。レタス掃除が2〜3年続いて、もうやめて欲しいのかなと思った(笑)。でも、こうなったらレタスをとことん知ろうと決めた。どういう土地で始まったのかとか、花が咲くこと、夜にパワーを蓄えること、成長するまでレタスにはいくつかのモーメントがあることを知って、いつ収穫してどう処理したらいいかが分かってきた。そしたら段々と美味しいレタスのサラダを作れるようになった。それまでは何をどうしたらいいかわからなくて、マジで情けないくらい毎日泣いてたよ。
 
石原:もののオリジンを知るのは大事だね。
 
前田:例えば大きな市場に行っていい魚を選ぶことより、俺はその魚がどういう海で、何度くらいの水温で生きていたのかを知りたいと思う。紳伍ちゃんがコロンビアに行ってカカオ畑を見るのも同じじゃないかな。マーケットに行って一番いいカカオを競り落としてくれば済む話かもしれない。でもさ、そういうんじゃなくて、もっと全体的な何かを作りたいでしょ。
 
石原:そうだね。チョコレートをただ販売したいとは思ってない。生産者がカカオを作る時間、加工するショコラティエ、プレゼンターとして売ってくれる人、そしてお客さんが食べる時間、そういう時間を繋ぎたいと思っている。てっちゃん邸でもエチェバリでも同じことを思って、感じたのは、何かが生まれるところから食すところまでのストーリー性。物語に重きを置いているところに共感したんだよね。その話をバスクでもさせてもらって、ほんと、昨年旅したなかで一番よかった。あの、薪に向かう姿を見るのも感動だったな。
 
前田:そこを見てもらえるのは嬉しい。
 
石原:一番美味しい食べ方を研究していった時に、薪で炙るというすごくシンプルだけど美味しくできる手法があって、シンプルなだけに創造性やちょっとした違いの積み重ねがさらなる美味しさに繋がる。いろんな複雑なことを考えながらもアウトプットはシンプル。そういうところにも共感した。そこに暮らしながらそこの文化を食べさせるというのを自分で体現して、人に薦めるというのは理想型だなと思ったよ。
 
前田:俺がここで生きていることが大好きで、だから人に来て欲しいと思うし、押し付けがましく「いいでしょ、俺んちの暮らし」と言っているところはある(笑)。でも、うちで山ほどとれているトマトのお裾分けがレストランの原点だとしたら、やっぱり、まずは自分が幸せにならないと。商売って、本来は人生のお裾分けのような気がするから。
例えば鶏を飼っているいま、卵を使った料理の大切さは実感としてあって、1日3個しかできない卵を、果たして今日ぜんぶ使っていいのかと思いながら作る。卵を6つ使ったオムレツを作るためには1日我慢しないといけないとかさ、物のありがたさについて俺なりの実感がある。それは都会に住んでいると感じづらくて、だからこそ、そういう気持ちのお裾分けができる料理、ひと皿食べて伝わる料理を心がけている。背景が染み渡るような味が“滋味”だと思っていて、それを作りたい。
 
前田さんは石原さんと話すうちに、その“お裾分け”はもっと自由で広いものでいいんだとも思うようになった。
 
前田:カカオは食材で、レストラン産業とは軸が違うと思っていたけど、紳伍ちゃんのやっていることを見たら変わらなかった。カカオという食材よりもカカオがある生活、コロンビアでカカオを使っている人の暮らしにフォーカスして広げている。そういう表舞台に昇華する作業って、実はビクトル(エチェバリのシェフ)がやっていることと似ている。どちらも自分の愛する何かがあって、伝統的に続くその文化を、世界中の人に認めてもらえるように花を咲かせようとしている。
それは僕もすごく考えていたテーマで、ビクトルがあの地を愛してああいうレストランをやるのは、すごく憧れる。でも、じゃあ日本人の自分は何をしたらいいんだろうと考えている時に、全然関係ないコロンビアのことを鎌倉でやっている人がいた。いままで俺は、「結局バスク人じゃないし」とどこかで思っていた。でも、何でもいいんだなと。好きになる強さ、愛する強さ、思うことの強さ、それがあれば、仕事としていんだって。
 
石原:それだけで5年間突っ走ってきた(笑)。
 
前田:あと、うちでは小ぢんまりやってきたけど、しんごちゃんが会社で作るのは1日何百食ともっといっぱいあって、実際に目を合わせないお客にも伝わることを目の当たりにした。俺は自分が焼いて出すことこそすべてと思っていた。でも、何かを伝えるための活動に制限はなかった。じゃあどうしたら広く伝わるのか、その構造に興味がある。最近、自分の手に何があるかをやっと分かり始めてきて、それをもっと発信しなきゃと思っているから、いっそう興味がある。自給自足している仙人みたいな人は世界中にいて、でも、そこで止まるんじゃなくて、「豊かな生活ってどこにあるんでしょうね?」とまで言っていきたい。だから、これまでの生活をどう還元していくかが次のステップとしては大きい。
 
石原:還元することもまた文化作りだと思う。僕たちはまったくなかった文化を作ろうとは思っていなくて、コロンビアで日常チョコレートが食べられている文化を日本というフィールドに置いたらどうなるのか、日本で培われた文化がまた違う土地にいったらどういう反応があるのか、新しいニーズとしての受け入れられ方を考えている。実用重視の文明はどんどん発達するけど文化は残していくもの。だから、100年続く文化を作る世界ブランドを目指す。そう考えていたときに、てっちゃんが昔ながらの手法でいまの舌の肥えた人たちを満足させて、土地を感じさせるストーリー性ある料理を作っていることにとても刺激を受けた。美味しいのは大前提で、そこ以外に重きをおいて未来を見据える同世代がいることは、とても励みになる。
 
前田:味はあとからでも合わせていける。世界には色んな食材があって、色んなことができるけど、自分がやらなきゃいけない料理であるかをいつも一番に考える。そういう使命感は大事にしていきたい。


ふたりが見てきた風景は、独自のものへと進化して、私たちに新たな“体験”として提供されていく。では、その体験のあとに何が起こるのか? 筆者は一消費者としてすでに変わったことがいくつかある。

カカオを毎日食べることで仕事が捗るようになった、スペイン語を勉強し始めた、次のバスク旅とコロンビア初訪問を夢みてモチベーションを上げるようになった、田舎にある実家の見方が変わった、地方の店に行く時は途中から歩いて向かうようになったetc.

そんな変化が起こるのは、旅の醍醐味にも似たストーリー性のある食体験だからこそ。そして、人の日常を変えているということは、もう文化なのだと思う。

共通する感性をもつふたりが各業界の常識に捉われず、さらなる文化を作っていくことに期待したい。単純に何か楽しい未来が、築かれていく気がしている。

Written by 大石 智子

フリーライター。1980年生まれ、静岡県出身。上智大学卒業後、出版社「主婦と生活社」に入社。『LEON』編集部に配属され、ライフスタイルやカルチャー分野の編集業務に携わる。6年在籍したのち、広告部を経て2011年からフリーランスとして活動。『GQ JAPAN』『東京カレンダー』『LEON』『AERA STYLE MAGAZINE』『GOETHE』にてインタビュー、旅、ホテル、レストラン、お酒の記事を執筆。東京での取材と並行して、毎月海外にて現地取材およびレストランとホテルのリサーチを行う。飲食店やホテルのオフィシャルサイトのライティング、新規ホテルのコンサルティング等も行う。スペイン語圏好き。柴犬ウォッチャー。

Related News & Journal