Journal

優雅な果実

 おいしいチョコレートとはどんなチョコレートだろうか。私なりに定義するなら、これが元々は果実だったということを思い出させてくれる味わいである。チョコレートという概念の中には収まりきれないみずみずしさが見え隠れする、そんなチョコレートだ。
 メゾンカカオの「生ガトーショコラ」を口にすると、カカオを味わっているのだなあと実感する。果物を口にした時の解放感が口の中でよみがえるといったらいいだろうか。


 同社が使っているカカオはコロンビア産。アンデス山脈の豊かな水源のもと、栽培されている。コロンビアにはさまざまな個性を持った土地があり、それぞれ水質や土質、風通しや日当たりなどが違い、その土壌に合ったカカオの品種が選ばれ、育てられる。
 カカオの生産が盛んな国は多々あるけれど、コロンビアではカカオを生産するだけでなく、加工も行う。採り立てのカカオが時間をおかずにチョコレートへと加工されるので、鮮度の良いチョコレートが生まれるというわけだ。生産地で加工工程を持つ国は世界でも稀だという。なるほど、あのフレッシュな味わいの理由はそこにもあるのだろう。


 ガトーショコラとは、フランス語で「チョコレートの焼き菓子」という意味だ。焼いてあるのに「生」とつくのは言語的には矛盾している。中がレアに仕上がっていることから「生」と名付けられた。代表の石原さんによれば、レストランで供されるデゼールのようになめらかな水分量を箱菓子に封じ込めようという心意気も込められているという。この焼き菓子は原料が卵とバターとチョコレートだけのシンプルなもの。チョコレート味のケーキ、ではなく、チョコレートをそのまま味わえるケーキをイメージしている。
 冷やしてうすく切ってなめらかさとフレッシュを楽しんだり、温めてフォンダンショコラのようにとろりとした感触を楽しんだり。おいしさは一面だけではない。御成通りのカフェではバラのソースや山椒のソースなどと供されることもある。この深く新鮮なカカオの味わいに合うものを探すのもまた一興だ。


 先日、友人がとあるミシュラン・シェフからいただいたという塩のお裾分けしてくれた。いわく「涙が出るほどおいしいお塩なのよ」。確かに、ストレートな塩っからさがまったくなく、ふわりと味覚を包み込むような塩だった。ふと、これは「生ガトーショコラ」に合うかもしれないと思い、早速試してみた。ゆっくりとドリップしたコーヒーと一緒に味わった。果たしてエレガントなマリアージュが完成。おいしいものへの勘の良さに我ながら感心してしまった。
 いつも新しい味覚や手に入りにくい味覚を贈ってくださる方に、「生ガトーショコラ」にこの塩をほんの少し添えてプレゼントした。「三切れ目にはお塩をつけてみてください」と書いたメッセージカードを添えて。目論見通り、すぐに驚きと喜びのメッセージが返ってきた。


 あなたはカカオの果実を見たことはあるだろうか?
 以前、ラグビーボールを小さくしたような形の真っ赤な果実をお土産にもらったことがある。片手で持てるぐらいの大きさ。ごつごつした質感。土を思わせる赤。野生的な塊は生き物のようだった。割ると、中から白い実が現れた。これが発酵され、やがてチョコレートになるのかと思うと不思議な気がした。あまりにも結びつかなくて。「生ガトーショコラ」を味わっていると、たまにあの赤い塊を思い出して、くすっと笑ってしまう。
 メゾンカカオの所在地はご存知のように鎌倉。鎌倉は古い街であり、海街でもある。お寺とサーフショップが違和感なく立ち並んでいる様は古くて新しい。「生ガトーショコラ」のクラシックでアバンギャルドな個性は、こうした鎌倉の空気の中で生まれるべくして生まれたのだ。

甘糟りり子 
1964年、横浜生まれ。幼い頃から鎌倉に暮らす。玉川大学を卒業後、アパレル会社勤務をへて文筆の道へ。クルマ、レストラン、ファッションなど、都会のキラめきをモチーフにした小説やコラムに定評がある。主な著書に『エストロゲン』や、『産まなくても、産めなくても』、最新刊は「私、産まなくていいですか」がある。幼い頃から慣れ親しんだ鎌倉に関する著作も多い。『鎌倉の家』、『鎌倉だから、おいしい。』


ガトーショコラの詳しい紹介はこちらからご覧いただけます。

Related News & Journal