
北海道・十勝。ここに、30品種以上ものベリーを育てる農園がある。
ラズベリー、カシス、ブルーベリー、シーベリー。
聞いたことのない品種も多く、訪れるたびに新しいベリーとの出会いがある。
その一つひとつの個性を面白がり、まるで研究者のように探究を続けているのが、ときいろベリーファームの鴇崎さんだ。
そして数あるベリーの中から、石原が惚れ込んだ小さなラズベリーがある。
華やかな香りと濃い味わい、爽やかな酸味を持つ「カールベック」。
育てるのも、収穫するのも難しい。
それでも鴇崎さんがこの小さな果実を育て続けてくれているのには理由があった。
今年も十勝の農園を訪ねた。

後にも先にも、石原さんだけ。
農園の入り口へ着くと、鴇崎さんご夫妻が待っていてくれた。
「石原さん、久しぶりですね!わざわざここまでありがとうございます!」
挨拶を交わすなり、鴇崎さんが石原の足元を見る。
「今日は長ズボンと靴ですね。よかった。」そう言って笑う。
「初めて来た時、石原さん短パンにビーサンだったでしょう。湘南の人ってすごいなと思って。後にも先にも、あんな人は石原さんだけですよ!」
「まだ覚えてるんですか。」
「覚えてますよ!忘れられない初体験です!」

完全自然栽培の農園には、アブも蜂も蚊もいる。
初めて訪れたあの日から何年経っても、石原のビーサン姿は忘れてもらえないらしい。
「皆さんも長ズボンですね。よかった。気をつけてくださいね。」
今日も完全装備の鴇崎さん。
そして早速、お手製のパンフレットを取り出した。
「まず農園の説明をしますね。うちはですね……」
何度訪れても、毎回きちんと最初から説明してくれる。
品種のこと。育て方のこと。今年の天候のこと。

どれも興味深い。でも、このままだと農園へたどり着く前に時間が過ぎてしまう。
「鴇崎さん、早く農園行きたいです!」
たまらず石原が声をかけると、みんなで笑いながらようやく農園へと足を踏み入れた。
ベリー博士。
北海道・十勝で30品種以上ものベリーを自然栽培するときいろベリーファーム。
農薬に頼らず、一粒ずつ手で摘み取る。
鴇崎さんは品種ごとの香りや酸味、果肉の柔らかさ、育ち方まで、一つひとつを研究するように見つめている。しかも訪れるたびに新しい品種が増えている。
「あ、これもやってみたんですよ。」
「これはですね、こういう特徴があって……」
後ろを振り返ることもなく、説明を続けながらズンズンと農園を進んでいく。
みんなでその後を追いかける。まさに、ベリー博士。

まだ知らない品種に出会えば育ててみる。その土地でどう育つのか。どんな味になるのか。
誰かが求めているからではなく、まず自分が面白いと思うことから始まる。
30品種以上のベリーが育つこの農園は、鴇崎さんの尽きない好奇心そのもののようだった。
石原が選んだ、小さなラズベリー。
「あ、これです。カールベックですよ。」
鴇崎さんが足を止めた。
「石原さんが気に入ってくれたやつです。」
枝には、小さな赤い果実が実っている。
「小粒でしょう?すごく小さくて、果肉も柔らかいんです。」
「あっ、食べてくださいね。いっぱい食べてください。せっかくだから。」
摘みたてを口に含む。小さな一粒から、驚くほど華やかな香りが広がる。
濃い果実味に、輪郭のある酸味。30品種以上のベリーの中から、石原がこの品種に惚れ込んだ理由がよく分かる。

けれど、カールベックはとても繊細だ。
国産ラズベリー自体が希少な中でも、雨に弱く、果実が育つ時期にはハウスをかけ、雨から守らなければならない。実をつけるまでにも時間がかかる。
さらに果実は小さく柔らかいため、一粒ずつ手で摘み取る収穫にも手間がかかる。
「これ、小さくて柔らかいから本当に大変なんですよ。すぐ駄目になっちゃうし、どうにか育てても手摘みでしょう。」
そして、いつもの調子で笑う。
「もうやめたいんですけどね。」
「えっ、困ります!」
「ハッハッハッ」鴇崎さんが楽しそうに笑う。
「でも石原さんが一番気に入ってくれたから、やめるわけにはいかないです。」

そう言った次の瞬間には、
「あっ、これも美味しいですよ。食べてください。」
「今年は収穫時期に雨が多くて本当に難しくてですね。あ、これいいですね。どうぞ!」
また次の話が始まっている。
一つ説明が終わる前に、次のベリーへ。
鴇崎さんの好奇心は、なかなか立ち止まらない。
まだ知られていない美味しさ。
ひとしきりラズベリーを見たあとは、
「皆さん、こっちもどうぞ!」と、カシスやブルーベリー、シーベリーの畑へ。
シーベリーを見て、以前この農園を訪れた時のことを思い出した。
当時、鴇崎さんは面白そうだからと栽培に挑戦していたものの、
「全然売れないんですよ。」と笑っていた。
ところが今回、その話をすると表情が変わった。
「今年から注文が入ったんですよ!」
独特の味わいと香り、鮮やかな色を料理に使いたいとシェフから声がかかるようになったという。
「やっと人気になってきました。」
本当に嬉しそうだ。まるで、自分の子どもが誰かに褒められたような顔をしている。

まだ知られていないから、つくらないのではない。
面白いと思ったら、まず育ててみる。
そしていつかその個性を面白いと思う誰かと出会う。
シーベリーの話を聞きながら、カールベックもまた、そんな出会いから始まったのだと思った。
「あっちも見てもらいたいんですけどね。」
「あ、これもまだ説明してなかったですね。」
気がつけば、辺りは少しずつ暗くなり始めていた。
「どうしよう。まだまだ見せたいものがたくさんあるんですけどね。日が暮れちゃいますね。」
そう言いながらも鴇崎さんの話はまだ止まりそうにない。

最後にカールベックの畑を振り返りながら言った。
「カールベックは任せてください。」
そして石原を見て、
「うちのラズベリーをこんなに大切にしてくれるから、必ず美味しいものをお届けしますよ。」
そこで石原が、持ってきた箱を手渡した。
「今年のカールベックでつくりました。」
アロマ生チョコレートと、ショコラ・コキーユ。
鴇崎さんご夫妻が、一粒を口に含む。
その瞬間。ずっと話し続けていた鴇崎さんの言葉が、止まった。
大きな目が、さらに大きくなる。
「本当に……すごいな。。」
「うちのラズベリーが、こんなふうになっちゃうんだ。」
石原が笑う。
「これは鴇崎さんたちのラズベリーだから出せる味です。これからも、カールベックお願いします。」
「もちろん。任せてください。」

30品種以上のベリーを育てながら、今も新しい品種に挑戦し続ける鴇崎さん。
その中から石原が見つけた、小さなラズベリー「カールベック」。
誰かが可能性を感じ、育てる。
誰かがその個性を見つけ、また違う表現へとつないでいく。
そうやって一つの素材の新しい物語が始まっていくのかもしれない。
帰ろうとする私たちの横で「まだ見せたいものがあるんですけどね。」
鴇崎さんは、やっぱり少し名残惜しそうだった。
きっと次に訪れる時には、また知らないベリーが増えている。
